come here.[6]



、今夜空いてる? 明日休みだし、久しぶりに飲み行かない?」
「ごめーん、今夜はちょっと…… 悪いわね」
「んもう、最近そればっかじゃない? さてはカレシでもできた?」
「やだ、そんなんじゃないよ。そんなんじゃ… でも、急いでるから」

今日の仕事を終えて、ロッカーで会社の制服から私服に着替えていると、友人の美奈が声をかけてきた。
けれどは最近、その誘いは断るように。残業も極力しないようにしてるのか、昼間てきぱき、仕事を片付け終業時刻には
ロッカーへ。

「じゃね、お先。また月曜ね」

美奈にそう声をかけ、さっさとロッカールームを出て帰路に着く割には、着替えの後のメイク直しは丁寧だ。
ん〜、やっぱカレシだわね、と親友の背中を見送って、美奈は呟いた。



カレシ、か……

自宅への帰りの電車の中。
座席は満席、なのでドアのわきに立ち、窓の外を眺めながらが、美奈に言われたことを反芻する。

そう… ではないのよね。一緒に、暮らしてるのに……
“サンジさん……”

窓の外を見ながら、はその人を思い浮かべていた。






サンジさん、とはあの“サンジ”のこと。
週間少年ジャンプで、絶大な人気を誇って連載中のマンガ“ONEPIECE”の、あの麦わら一味のサンジだった。
そのサンジがONEPIECEの世界から、こちらの現実世界に出てきてしまって。の家に来てから、早三週間と少し、
経っていた。
最初は、信じられなかった。非現実的すぎるではないか。マンガのキャラクターが、実体・現実化して目の前に現れるなんて。
いくら自分が、通常に言われる“好きなマンガのキャラクター”の度合いを悠に超える程サンジが好きだから、といっても。
完全に普通に、恋愛対象なのだといっても。…実際に、会いたい、会ってみたい、と半ば本気で恋焦がれていたとしても。
けれど、現に起こってしまったのだ。

最初の頃は、本物のサンジなのかと、疑ったり緊張したり。それでだいぶ、ぎこちなく、変な接し方もしたようだったけれど…
それは多分、お互い様。
サンジにしてみれば、今まで自分がいた世界と全く違う世界、そこで初めて出会った女と突然、始まった二人暮し。
きっとの方がそういう接し方だったから、彼の方はそれを多くは出してはこなかったけれど…… きっと戸惑うこと、
不安になること、緊張することなど、沢山あったと思う。何と言っても、突然異世界に放り込まれたわけだから。
でも彼は、の前でそれを出すことなく。が知っている、サンジのままだった。





会社からは乗り換え一回で40分位。これでの自宅マンションの最寄り駅に着く。
ここからは徒歩で10分程。駅前ロータリーから自宅前の通りまでバスも出ているが、それは朝、遅刻しそうな時くらいにしか
使わない。
学生の頃から社会人の今まで数年、幾度となく歩いて通った道を歩きながら、やはり思うは、電車の中から引き続き、
サンジのこと。
きっと今夜も、美味しい夕食を作って、待っていてくれるだろう彼のもとに、早く帰りたかった。



「ただいま」

玄関に迎えに来てくれた飼い猫と共に、リビングに足を踏み入れれば、“おかえり、さん。今すぐ支度するね”との言葉と
笑顔で迎えてくれて、アイスティーの入ったグラスをさりげなく置いて、キッチンに向かうサンジ。
“ええ。ありがとう。今夜は何? 楽しみだわ” と答えながら、一回かばんを置きに自室に行く

「はぁい、じゃあサンちゃんもゴハンだよー」

かばんを置いて、通勤スーツから自宅用のワンピースに着替えたが、自室から出てきて、飼い猫のえさ皿にザラザラ、と
えさを入れてやって、食事場所に決めているリビングの隅に置いてやると、みゃあ、と鳴いて寄ってきた猫が、それを食べ始める。
その様子を見ながら、“おいしい?”なんて言いながら、微笑んでいるを。サンジも、配膳の手は休めないまでもその合間に、
彼女を柔らかい表情で見遣っていた。


“お待たせしました、さんv どうぞ、こちらへ” やがてサンジが、そのに声をかけてくれるから。
“はい”と答えて、飼い猫の前から立ち上がってテーブルに向かえば、彼が椅子を引いてくれるので、そのまま座らせてもらう。
まるで一流レストランのようなエスコート、そう、そういえば彼はバラティエの副料理長だったわね。
その頃と同じ、サービスだったとしても。は嬉しかった。
やがて向かいに座ったサンジと、“いただきます”と声をあわせて、夕食を食べ始める―――

今日も、そんないつもと同じ、夕食の時間がもうすぐ始まるのだと思っていた。



“ピンポーン”

玄関のインターホンの音だった。

「え、あら? 誰かしら、こんな時間に……」

金曜のこんな夕方、誰が訪ねてくるのだろう、と思いつつ。顔を上げたは、やはり配膳の手を止めたサンジと、顔を見合わ
せた。
ピンポーン、ともう一度鳴るので、“はぁい”と答えて玄関に向かう。


「……増田さん」

誰だろう、と玄関ドアの小さな丸窓から覗けば、そこに立っていたのは同じ会社の増田という男だった。
入社して今の部署に配属になった頃、仕事も教えてもらったりしたこともある二つ上の先輩でもある。
今でも何か、仕事上のトラブルがあったとき、真っ先に面倒を見てくれたりする、頼りになる先輩だった。
――だけれど……。
少し考えたけれども、とりあえず“はぁい”とか答えてしまったし、開けないわけにもいかないだろう。

「やあ、君。机の上にこの封筒、置きっぱなしだったけれど忘れ物じゃなかったかね?」
「あっ、それ……」

増田は、手に持っていた封筒を見せながら言う。

「あ、いえその… 休み明け、朝一番で部長が使うっておっしゃってた資料を探して、まとめておいたものを袋に入れて置いて
おいたんです。月曜の朝、すぐ渡せるようにって……」

会社の社名の入った、B4の大きさの封筒を受け取り、中身を確かめたがそう言った。

「そうだったのか。てっきり、持ち帰りの仕事をまとめておいたのを忘れてしまったのかと思ったよ。最近の君は仕事熱心
だからね」
「いえ、そんな… 封筒、ご心配おかけしてすみません。ありがとうございました、では――」
君、夕飯は?」
「は? いえ、まだですけど…」
「よかった、ならつきあってくれないか。この辺はあまり来ないのでね、不案内なのだよ。できたら美味しい店とか、教えて
くれると助かるんだがー……」
「え? いいえ、でも、もう着替えてしまいましたし…」
「いいや? 君の支度の間くらい待つよ」
「お店のご案内なら簡単な地図でも書きますから」
「さっきも言っただろう? この辺は不案内なんだ、ぜひ君に一緒に来てもらいたいね。君」

増田がさりげなく、の手を取って言う。

「いえ… でももう、私の夕食は支度出来てて、後は食べるだけですし―――」
「そんな、今帰って来たばかりだろう? 会社を定時に上がってここまで帰ったとすれば、つい先程のはずだ。私も、君が帰った
後10分くらいでその封筒に気付いてここに来たんだから」

どうしよう… 困ったな…… と思いつつ、視線を泳がす
実は前にも、増田にはこんな風に声をかけられたことがある。
その時には一度、断ったつもりでいたが―――

「あっ… だ、ダメよ、サンちゃん」

困惑していたの足元で、不意に聞こえた威嚇の声。
泳いでいた視線をやれば、いつの間にか足元に飼い猫が出てきていて、今にも飛び掛らんばかりに増田を威嚇していた。
ぱっ、と飼い猫を押さえるのに増田の手から逃れるのに成功したが、しゃがんで猫を押さえる。
仮にも相手は会社の先輩――― 別に敵、ていうわけでもないのだが……

「ダメだってば。サンジ!」

それでも威嚇をやめようとしない飼い猫に、愛称ではなく本名で、ちょっときつめに声を張り上げた。


「―――呼んだ? 

その時。
後から降ってくるように、でも優しい声がした。

「え、あ、ううん―― 猫の方……」

あっ…… そっか、私今、このコのこと呼んだつもりだったけど……   それって、サンジさんのこと怒鳴ったみたいに
なっちゃったんだ……

かああ、と真っ赤になりながら、が猫を抱え上げて立ち上がると。
ああそっか、なんて笑いながら、サンジは猫を、から受け取った。
“よーしよし、俺が来たから、お前はもういいからな。よくがんばった、後は俺に任せて部屋行ってな” サンジはそう、猫に語り
かけると、部屋の方に向けて放った。

「さてと…… 何だ? アンタ」

振り向いたサンジが増田を捉えた視線は鋭く。発した声も、先程や飼い猫に語りかけたような優しい声ではなく。
その視線のように鋭い音を隠した声だった。

「あっ… えっと、こちら会社の先輩の増田さん。私が封筒、会社の机の上に出しっぱなしにしてたから、忘れ物かと思って
届けに来てくれたの」

が焦ったように言い、増田から受け取って靴箱の上に置いていた封筒を取り上げてサンジに見せる。

「―――で、それをが受け取ったってことは、もう用事は済んだんだな? ならどうぞ、お引取りを。ウチは、これから夕飯
なんでね」
「え、いやしかし――」
「さようなら。わざわざのために、ありがとうございました。お引取りを」

あくまでも、言葉使いは丁寧に。だが、サンジのその視線には、態度には有無を言わさない迫力があった。

「―――増田さん」

その時、が言った。

「あの… 私、前に言いましたよね? 飼い猫に同じ名前、付けてしまうほど好きな人がいるから、お気持ちは嬉しいけどお応え
できません、って。―――彼が、そうなんです」
「え、でもあれは――」
「そういうこった」

サンジがついに、増田を玄関の外に出して言った。

「こんな時間に、これからメシだってときに、一人暮らしのレディの家にいる男―― そいつが彼女にとって何なのか、アンタも
イイ歳の男なら察したらどうだ? わかるだろ。わかったらそういう意味で、二度とにつきまとうな」

そう言って玄関のドアを閉めた。



「サンジ……さん」

玄関の鍵をかけて、振り向いたサンジの視線は穏やかで優しかった。

「ああ―― これでたぶん、もうあの男は貴女を追いかけないよ。それよりも悪かった、成り行き上とはいえ、あんな態度をとって、
あまつさえ呼び捨てにしてしまって…… さん?」

玄関を上がって、の傍まで来たサンジはの様子がおかしいことに気付いた。
顔を真っ赤にし、震える瞳は、今にも零れ落ちそうで――― そして、全身は固くこわばったように、緊張しているような様子が
見て取れた。

「いえ、別にいいんですそれは…… だって、私は成り行きじゃないもの」

もの凄い、緊張感。それとは裏腹の、溢れる出る想い。
三年と十ヶ月、初めて読んだ―――出逢ったその夜から溜めてきた想い。
届くことなんか、ましてや相手から反応が返ってくるなんて絶対にありえない、はずだったその想い。
成り行きだろうが芝居だろうが、一瞬でもその立場に立てたこと。
そのことが、の胸の内を占め、想いを溢れさせていた。


「サンちゃん…… サンジの名前。付けた意味は、今言ったとおりだもの―――」





自分の声が、やけに震えていた。搾り出すようだった。
でも言った。ついに告げた、この想い―――





「……まいったな」

サンジが、フッと微笑うように息を吐いた。

「俺も。俺も、ホントは成り行きなんかじゃねェんだ……」

そう言ったサンジにが、顔を上げる。

「もう一度、改めて。貴女を呼び捨てにする権利と、ああ言える立場に実際に立てるよう、改めて貴女にお伺いするつもり
だったのに」

サンジがそう言って、それまで――― そう、ジャンプでもアニメでも、見たことがないような笑顔を、見せてくれた。

「ありがとう。アイツの名前の由来――― 聞いたときは、天にも舞い上がっちまうくらい、本当に嬉しかった。

そっと、触れたら振るえた肩を抱き寄せて。抱きしめて、サンジが言った。

「サンジさん……」
「―――あれ、は、俺のことサンジって呼び捨てにしないのかい?」
「えっ……」
「ああ、でも。そうしたらアイツが反応しちまうか。アイツの名前でもあるんだしな」
「……ううん。大丈夫よ、あのコはむしろ… 自分の名前は“サンちゃん”だと思ってるから――― ね、サンジ?」

にこ、とがサンジの腕の中、顔を上げて微笑んだ。
そしてそのまま… どちらからともなく、惹きあう想いのまま。
唇を重ねた。





「……さ、行こうか。あまり放っておくと、せっかくの美味いメシが不味くなっちまうからな。どうぞこちらへ――― プリンセス」
「ありがとう。今日は何かしら、楽しみだわ」

そう言葉を交わしながら、リビングに二人が戻ってきたのは、それからしばらく後のことだった。


                                                <come here.6/fin.→next


はい、お待たせしました。come here.6話目です。
文中の増田さんとサンジ・ヒロインのやり取りは、何ヶ月も前から、何度も何度も寝る前の布団の中でシュミレーション・
反芻してましたが、実際に書いてみて、ものっそドキドキした自画自賛女・葉月でっす。
あー、アホみたい、私。でも楽しかった!ドキドキした!
でもこの思いが少しでも、貴女に伝わったか、独りよがりになってないか。少し心配でもあります。

ということで4話・5話でそれぞれの想いを吐露したヒロインとサンジ、くっつけてみました。
さあ、これからが本番だ(笑)