2003年7月14日。

私は、この日を絶対に。

忘れない。



   come here.[1]



『ウソップ 掴まって!!! 手を!!!』
ナミが叫びながら、ウエイバーを駆る。
瀕死のウソップは、何とか手を伸ばそうとするが… 
『この期に及んで助かろうとするんじゃあない…!』
エネルが棒先でウソップの手を押さえ、反対の手には雷のエネルギーを貯めながら、そう言った。
『“神の”…』
『ウソップ!!!』
ナミの悲鳴が、ウソップを呼ぶ。
その時。

タンッ、とナミのウエイバーに向けてウソップを蹴り上げた影。
『行け』
煙草を銜えながら、彼は静かに言った。

『サンジ君!!!』
ナミの金切り声が響く。
『ナミ!!! 出せ!!! 方向こっちでいいんだな!!?』
『えっ!!?』
ハンドルを握るウソップ。
『“裁き”!!!』
『待って ウソップ 何でアクセルを!!? サンジ君がまだ…』
『いいんだ 逃げるんだ!!!』

『男の覚悟を!!! お前は!!! 踏みにじる気かァ!!!』

そう叫んだウソップとナミを乗せたウエイバーは。無事“方舟”から脱出し。
目論見どおり、ナミとウソップは、下の島雲に、無事に飛び降りた。

そして一人、“神の裁き”をまともに喰らった彼は。

『アァ… 神よ… …言い残した事が… 1つあった…! …あァ…いや… その前に 悪ィな…』
一つ大きく煙草を吸って。
『タバコの火ィ…!!! 欲しかった …トコだ…!』
紫煙を吐きながら、そう言った。

『…あァ 「吠え顔かきやがれ」』





――……サンジ………

その日、は朝から、仕事どころではなかった。
原因は朝、通勤途中に買ったジャンプ。

は、月曜の朝、駅に着いたら電車に乗る前に、当日発売の今週のジャンプを買うことにしている。
改札をくぐってから会社の最寄り駅に着くまで、途中乗り換えを含めての約40分、その間にまず、大好きなONEPIECEを読み、
それから巻頭にもどり、掲載マンガを順番に読むのだ。
だからONEPIECE が巻頭カラーだと、最初から順に気持ちよく読める。

その号のONEPIECEは巻頭カラーだった。絨毯の上で寛ぐ、麦わらの一味のみんな。
その様子にふっ、との頬が緩む。ほんわかした気持ちが彼女を包み、朝の満員電車も、気にならなくなるひととき。

――そっか、コーヒーにはミルクは一つなのね。愛用煙草の銘柄、「DETH」ってのか、ライトみたいだけど… スッゴイ名前ね。

そう、はONPIECEのキャラクターの中で、サンジが一番好きなのだ。それはもう、自他共に認める程。
彼女のサンジ好きを知る友人達はみなこう言う、『程のサンジ好きはめったにいない』と。自分達もサンジファンであるにも
かかわらず、だ。
そんなを襲った、ONEPIECE284話の衝撃。



彼が、サンジがそういう人なのは、もよく知っている。
その容姿が好みにあっていたり、自他共に認める一流料理人としての腕やこだわり、プライドも。
ちょっと女好きすぎる嫌いはあったけれど、軟派に見える性格の中に垣間見える騎士道精神などもたまらなく好きだったし、
それに気づいてからは、彼なりの優しさなども見えるようになった。
そう、普段はかなり女尊男卑な態度だけれど、いざとなれば、誰よりも。
何かを護るためなら、自己犠牲も厭わない人。
そう、これが、例えナミがいなくったってこの人は、きっと、ここで――――

――サンジ… 

心の中で呟いて、また泣きそうになった。
『…あァ 「吠え顔かきやがれ」』
そう言って、崩れるように倒れたサンジを、思い出して。
仕事帰りの帰路、ジャンプの入った鞄の紐を握り締めて…。







「………!!?」
そんな仕事帰り、自宅マンション、自室前。
玄関のドアに、寄りかかるように座り込んでいる人影に気付いた

――やだ、何…?

いや、人影は。
だらりと腕を下げ、脚も投げ出し。首もうな垂れて、何だか気を失っているみたいだった。

――何なのよ…ウチ、入れないじゃない。どうしよう…

そう思いつつ近づいてみて、ドキリ、としたのは。

その人影、半袖のシャツから覗く腕は包帯が巻かれていたこと。ズボンの裾から覗く脚にも、巻いてあるようだ。
そして前を止めていないシャツから覗く身体にも包帯が巻かれている。
いや、何よりもがドキリ、としたのは。
そのシャツは… 何だか、見覚えが、ある。前開きの身頃、右と左に縦二本、入ったラインの、そのシャツ。
そして気を失ってる、その人の…
黄金色の前髪は、頬にかかるくらい、長く。それを右側で分けていて。
うな垂れていても形のよいラインを描く顎に少しだけ生えている髭。
決定的なのは、分けている前髪の隙間から見える、眉。



普通、こんな眉の人なんて、いない。
現実にも、マンガなんかの世界にも。
いるとしたら、それは…



「……サ、」



あり得ない。あり得るわけない。だって、彼は、マンガの登場キャラクターでしょ?
でも。でも…っ



「サンジ…さん?」



とりあえず呼び捨てはまずいかしら。
そんな場違いなことをぼんやりと考えながら、は、掠れる声で思い当たった名前を呼び、そっとその人を揺すった。

しかしその人はちょっとやそっとでは起きなかった。

「あの…っ」

はさらに、その人をゆすってみた。
見れば見るほど、サンジにしか見えないその人を。



もしかしたら、何かのいたずら? この人、凝り性のコスプレマニアの人で…
だって、本物にしか見えないくらいだもの。
今まで“なんちゃって”のコスプレサンジは何人も見てきたし。
“フザけんな!”と蹴り入れたくなるようなのから、思わず声かけちゃうくらいカッコイイのまで。
でもね。どんなに上手でも、なりきりでも、やっぱりコスプレはコスプレにしか見えないんだけど…
でも。何か、違う。この人。まさか、本物の…
それに、そんなコスプレマニアが、私に何の用よ。
私なんかにそんないたずらして、何のメリットがあるの?
じゃ、そうでないとしたら。
何…?




ずっとずっと、好きだった。
友人達の間では、極度のサンジ好きで通ってるけれど…
自分のこの想いは、ただ単に大好きなマンガのキャラクター、などと言えるものではなく。
学生時代、部活で活躍してた彼に惹かれたように。入社してまもなく、付き合いだし別れた彼のように。
恋して、いる。
愛して、いる。
彼が現実にいれば、と何度も思った。
逢いたい、とずっとずっと、思ってた。
にとってサンジは、充分過ぎる程、恋愛対象なのだ。



でも、だからといって。



あり得る……? こんなこと。 



マンガの中の登場キャラが、実体化して目の前に現れる、なんて―――



「サ…」
「ナミさんっ! ウソップ!」

次にが、声をかけて揺すろうとしたとき。
彼は、こう叫んでがばっ、と顔を上げた。

「きゃっ」

それがあまりにも急だったので、はそう小さく叫んで、びくっ、と身を竦ませた。

「あ… ああ失礼、レディ。驚かせてしまったようで」

こちらを向いた彼が、そう言った。そう言ってに手を差し出し、安心させるように微笑んだ。

「いえ、私こそ…」

差し出された手をとっていいものかどうか… 迷いつつも、その微笑には、見惚れてしまう。
無理もない。
本の外側からしか、見たことのなかった笑顔が、今、真正面にいるのだから…

「というか、驚いたのは俺の方だ。目が覚めたら目の前に、貴女のような素敵なレディがいらっしゃるとは。ここは一体…」

言いかけて“!?”と。
辺りの様子に気がついたらしい彼が、驚いたような顔をして、回りをぐるり、と見回した。

「何だ… どこだ、ここは…」

呆然とした顔で、呟く彼。
マンションの外廊下、時刻は21:00少し前。の部屋はマンション10階なので結構遠くまで見渡せる。 回りは民家、
その少し向こうに商店街の街灯が連なり、少し大きめ建物… 20:00閉店のため、今はその明かりを消していてわかりづらいが、
駅前デパート、ここでさえぎられたその向こうは駅で、電車が通ってるはず。
そんな、どこにもある住宅街の一角を見て、しかし初めて見る知らない景色のように。
呆然と、夜の街並みを眺めていた。

「あの…」

それにが、声をかけた。

「ここ… 日本、て国の東京、です」
「…!? ニホン…? トウキョウ…?」

の方を向いて、呆然とした顔そのままに、彼が同じく繰り返す。

「どういうこった… 俺ァ確か…」
「……はるか上空、雲の上。スカイピア、てとこにいた」
「!?」

……声も。サンジそのものだわ。喋り方も…。
ますます驚いた顔をして自分を見てくる彼に、はそう思った。

「ここ、地上です。といっても…」

は、そこまで言って口を噤んだ。…少し、考えてから口を開いた。

「……立ち話もなんですから。ここ、私の家なんです。お茶でも飲みながら、話しませんか?」
「いやレディ、お誘いはありがたいけど俺は…」
「貴方が今、すごく焦っているのはわかります。けど話、長くなりそうですし… どうです、上がりませんか?」

玄関の鍵を開けながら、は言った。そして振り返り、言った。

「サンジさん」









“靴、そこで脱いでください。この世界では、そういうしきたりなんです” 自分のあとについて、家に入ってきた彼に、はそう
言った。
“みゃあ” 家に入ると、一匹の黒い猫がの足元に寄ってくる。
“ああ、ただいま。お留守番ありがと。今ごはんあげるからねー” 猫を抱き上げはやや甘やかすような声で言い、撫でてやると
下に下ろした。

「へえ、猫飼ってるんだ」

そう言う彼が、しゃがんで猫に手を伸ばす。

「あっ待って、そのコ…」

は慌てて、猫に手を伸ばそうとする彼を止めようとする。
だが猫は、差し出された手を避けようとせず、彼に撫でられるままにする。それどころか、自らなつくように、彼の手の平に頭を
擦り付けてみたりした。

「え…」

驚いたのはだった。

「サンちゃん… 男の人には、絶対になつかないのに…」
「サンちゃん?」
「あっ、そのコの名前です。うちに来る女のコの友達には愛想いいんだけど、宅配便や集金の人でも、男の人には威嚇するから。
 男の人なのにあんなになついたの、貴方が初めてですよ」

“おいで、サンちゃん” が呼ぶと、猫は彼から離れ、彼女の元に。餌皿に固形の餌を入れてやると、カリカリと音を立てながら
食べ始めた。その様子にふふっ、との頬が緩む。
その笑顔に、彼のを見る視線にも、フッ、と温かさが宿った。





「さて…」

何て説明したらいいんだろう。どこを切り口として、話しだしたらいいのだろう。
彼の分と自分の分、作り置きのアイスティーを二杯、目の前において。 
そもそも、マンガの中にいるはずの彼が、なぜこの世界に現れたのか。
いや、それ以前に…

「あの… 私、って言います…」
「あァ俺は…って、俺の名前知ってたよな、さん?」

それにはこくん、と頷く。

「サンジ…さん」
「あァ。いかにも、俺の名はサンジ。海の」
「超一流の、コックさん。料理の腕と蹴り技が超一流の、元海上レストラン・バラティエの副料理長、今は海賊・麦わらの一味の
 コックさん。夢は、オールブルーを見つけ出すこと」

そう言葉を続けたに、サンジはまた、少し驚いたように口を開く。

「……ビックリした。さん、ホントに俺のこと何でも知ってるワケ?」
「え? ううん、少し知ってるくらいで何でもってワケじゃ… それに実際、こうして逢えたのも、初めてでしょう?」

そう、確かに何でも、ってわけじゃない。マンガの中で明らかになったことくらい。それくらいしか知らないけれど。
でも、マンガの中で明らかになったことなら、全てわかる。
ONEPIECE、大好きなマンガ。その登場人物、大好きな… …愛してる、彼。それが、目の前のサンジ。
サンジを中心に、は何度も、何度も読み込んだ。

「しっかしまァ… 俺のこと何でもお見通しの素敵レディのさん。もしかして貴女は天使なのでは?」
「え?」
「そして俺の知らないこの世界。実はココこそ、死後の世界で俺ァあのとき、空飛ぶ船の上でカミナリ野郎のカミナリにやられて
 死」
「やめて!」

突然、大声を張り上げる

「お願い… お願いだからそんなこと言わないで。貴方がそんなことになったら私… 私…」
「……」

震える声でそう言うに、サンジはそれ以上言葉を続けることが出来ず、彼女を見つめた。

「あ、ごめんなさい、私…」
「…いや。俺こそ悪かった。そうだな、まだ俺もそんなことにはなりたくねェな。まだオールブルーも見つけてねェし」

そう言ってサンジは、彼女を安心させるように微笑む。
ああ、私この人の、こういうところが好きなんだな、とその笑顔を見て、は思った。

「えっと、とにかくここは死後の世界じゃ… そんなとこじゃありません。けど、サンジさんが今までいた世界とも違うトコです。きっと」
「……だよな。えっと、さっきさん何て言ってたっけ? ニホン? トウキョウ? だっけ。見たこともねェ場所だった…外」

先程、このマンションの外廊下で見たこの町並み。全く覚えがなく、呆然としたサンジ。
それを思い出していると、が頷いた。

「…やっぱ原因はアレか。カミナリ野郎のカミナリ。そのエネルギーか何かで、見覚えのねェこんな世界に飛ばされた、と。
 んな本の中の話じゃあるまいし、なあ…」

そう言ってサンジは曖昧に笑って、ポケットから愛用の煙草の箱を取り出すと、一本取り出して口に銜えた。
その様子を見て“あ、ごめんなさい、私煙草吸わないんで、ウチ灰皿ないんです。えっと…  とりあえずこれで”と、キッチンから小皿
を持ってきて差し出したも、似たような表情だった。
“ホントに、ねえ”と相槌も打てず。ましてや“イヤ、もともと貴方、本の中の人間だし”とも言えず。
それが真実、マンガの中の登場人物である彼が“本の中の話じゃあるまいし”と言って曖昧に笑うのに、何故かはそれを
指摘して、彼に真実を伝えることができなかった。

「んでも、これが今の現実。ありえねェ話けど、実際起こっちまったんだよな」

いや、煙草吸わないレディの家の皿でそれは悪ィから、と小皿を返しながら、サンジが言った。

「ええ… みたいですね。会社から帰ってきたら、ドアの前にいきなりサンジさんが… びっくりしました」

マンガの中の登場人物であるはずの彼。実際に逢いたいと何度も望んだけれど、まさかこんな形で叶うとは…

「ああ、すまなかった。ゴメンな、確かに驚くよな。会社から帰ってきたら玄関前に俺みてェなのが寄っかかって気ィ失ってたら」
「いえそんな…」

サンジに正面から覗き込まれるようにして言われて、どきっとして照れくさかったは、何とかそれを顔に出さないように。
堪えて、自分の分のアイスティーに手を伸ばすと、そのストローを銜える。

「けど俺はまだラッキーだったな」
「え?」
「こんな、今までと違う世界に飛ばされたとしてもだ。そこで最初に出逢ったのが、さんみたいな素敵なレディで」
「そっ…」

…あ、ダメ…
今度こそダメだった。
サンジのその言葉に、がかあああ…っ、と真っ赤になる。トクン、と胸が高鳴る。

「サンジさん、私…」

貴方が好きです。
思わずその言葉が口を付いて出ようとしたとき。

ぐうう〜〜〜〜。

「……さん? ひょっとして、お腹空いて…?」
「えっ、いやっ、そのっ、あのっ… 私、今まで仕事で、家帰ってから夕飯作って食べようと思ってて… それでっ」

ウソでしょ、何で〜!? そりゃ確かに、今日こんな時間まで残業で、昼食べて以来何も食べてなかったけれどっ。
それでものすごくお腹すいてたけどっ。
何も、よりにもよって今、ここで鳴らなくてもいいじゃな〜い(泣)

かあああ、と真っ赤になりながら、が慌てた口調で話す。
ああもう何なの、これじゃ言い訳みたいじゃない、ああっ穴があったら入りたい〜、なんて半分泣きそうになりながら必死に話す
に、サンジの頬が緩む。

さん。もしよろしければ、冷蔵庫の中、見せていただけませんか?」
「え?」
「もし俺でよろしければ。ささやかながら、何かお作りしますよ、レディ」

サンジにそう言われて、は彼をキッチンに案内する。
目の前に現れてくれただけでも嬉しいのに、彼の料理が食べられるなんて…
逆に、でも、これで彼がホントにサンジさんなのかどうなのか、わかるかも…
…実は。はこの時点ではまだ、彼を本物のサンジだと思いつつも、ホントは凝り性のコスプレマニアのいたずらかもしれない、
という思いを完全に拭いきれずにいた。



「えーと、とりあえずコレとコレ、と… 結構いろいろ揃ってるなさんの冷蔵庫。棚のスパイスも見事なもんだ」
「ええまあ… 料理は好きだから。ハーブも趣味でいろいろ揃えてるし… どうぞ、どれでも好きなの使ってください」

サンジに言われて、冷蔵庫の中身の他に、言われた食材を出してくる。
全てが揃うと、“さて”とサンジは調理にとりかかった。
その様子を、横に立っては眺めていた。
その手際は見事なものだった。
鍋に湯を沸かす横で材料を切り、フライパンを熱して炒める。鍋の湯が沸いたところで塩を多めに入れパスタを茹で、フライパンには
炒めた材料にソースの調味料をあわせ、そのパスタを作っている合間にもまた、別の作業を…
流れるように行われる一連の作業は、少しの無駄もなく。ちゃんと見ていたのに、気がついたらスパゲティ・ナポリタンとサラダ、
スープに数種類のカナッペが二人分、出来上がっていた。
最後にぱたん、と冷蔵庫の扉を閉めて、サンジが振り向く。

「デザートのパンナコッタは今冷やしてるトコだから、先にお食事からお召し上がりください、お姫様」

そう言って椅子を引き、を座らせてから、自分も真向かいに。

「実は俺も、朝食べてから、何にも食ってなくてな。今、一緒に食べていいかい?」
「え、あ、はい、どうぞ…」

そう言うの真向かいで“よかった、じゃ、いただきます”と食べ始めるサンジ。

「……美味しいっ!」

“いただきます”と言ってから、まずスープを一口。フォークにナポリタンを巻き取り、一口、二口、三口。そしてスープ。
その味は、今までが食べたことないくらいのものだった。
それは… OL仲間が口コミで見つけてきた美味しいと評判の店や雑誌の“美味しいお店ランキング”で上位に紹介されていた店、
またボーナスが出たときにくらいしか行けないようなちょっと高級な店、もしくは招待された結婚式のフルコース… それら今まで
が食べてきた、美味しいと思われるどんな料理よりも。

「美味しいわ、サンジさん」

にっこり笑って、はそう告げた。そしてまた、続きを食べ始める。

「そりゃよかった。さんの可愛らしいお口に合ったみたいで」
「ええ、そりゃあもう。可愛らしい、は余計だけど…。ずーっと思ってたの、一度でいいから貴方の料理食べてみたいって。
 すごく美味しいんだろうなって思ってたんだけど、思った通りね。ん〜… 同じ材料に同じ調理器具使って、何でここまで
 違うかな〜。私が作ったのと。そりゃサンジさんはプロだけど」

腹の中に物が入って空腹が徐々に満たされてきたためか。
それまで、どこか控えめで。少し笑った顔なども見せてはいたけれど、どこか強張った面持ちだったが、その言葉遣い
からもわかるとおり緊張が抜けたらしく、屈託なく笑ってサンジに言う。

「……そりゃあ、今夜は記念すべきディナーだからな。俺と、さんとの素晴らしい出会いに」

サンジがそう言って微笑むと、はかあ…っと真っ赤になった。

「このカナッペも、美味しいですよ。お姫様」

真ん中に置いた皿に並べていたカナッペを一つ、サンジは手に取るとの口元へと運ぶ。
は、夢見心地のまま、口を開けた。そこにそっ、とサンジの指がカナッペを入れる。
それを受け取ったが、サクッ、と音を立てて口を閉じたとき、サンジの指先がの唇を撫でた。
「―――」
その指でもう一つカナッペを取り、今度はそれを自分の口に入れると、先程の指―――の唇を撫でた指を何気なく舐めた。
「…っ」
それを見て、かあっと紅くなる
“ん?” と首を傾げてくるサンジにぱっと視線をそらすと、食事に没頭する。
フォークで、ナポリタンを巻き取りながら。その味を堪能しながら。

――間違いない。

間違いない。外見だって、ちょっと話した感じも、調理の手際も。そして出来上がった料理の味も。……そして、女の人(私)の扱いも。
本当に、彼は、ONEPIECEのサンジなんだ…




「さて、と… これからどうしたもんだか…」

へえ、紅茶もいろいろ揃ってるんだ、と興味深げに隣から棚を覗くサンジに、パンナコッタ食べながら、だったら… これがいいかしら?
が選んだのは秋摘みダージリンだった。これをアイスティーにする。
食事の後にそんなデザートを食べていたときに、サンジが言った。

「これから…?」
「ああ… どうやったら元の世界に帰れるのか…」

……そうだ。
もし目の前の彼がONEPIECEのサンジなら… ここでこんなことしてる場合じゃない。
今、彼の仲間は、麦わら一味は。
空島で、エネルと対峙中。
そう、彼がこの世界で目を覚ましたとき、最初に何て言った?
『ナミさんっ! ウソップ!』
……仲間の名前、叫んでた。彼が、こちらの世界に来る前に最後にしたこと。
自分の身を犠牲にしてまで、助けた仲間の名前を……。
それ以前に。
彼は、向こうの世界に、ONEPIECEの世界に戻って、オールブルーを捜さなきゃならない…

「それは… どうしたらいいのか、私にもわからないわ。私が最初にサンジさんを見たとき… すでに貴方は、この部屋のドアに座った
 まま寄りかかって気を失ってた… すでにこちら側に来た後だったから。せめて来るところを見ていれば、何かわかったかもしれない
 けど……」

がすまなそうな顔をして言うと、サンジは慌てて首を振る。

「そんな顔しないでください、さん。俺だって気がついたらこの世界、だからどうやってきたのかわからねェんだし… それよりも
 当面の問題は…」

突然来てしまったこの世界、当然サンジには何の当てもない。どころかここがどんな世界なのか… 
とりあえず目の前の、というレディがこの世界で最初に出逢った人間、そしてここは「マンション」とかいう建物で、その中の一つが、
どうやら彼女が暮してるらしい、この部屋(ここがこうだ、ということはあの最初に自分がいた廊下の一つ一つの扉の向こうもこうなっ
てて、やっぱりそれぞれ人が住んでいるのか?)。
そして彼女のキッチンを借りたところによると、食材や調理器具・調理法なども、どうやら自分がもといた世界とそうは変わらないもの
らしい…
それくらいのことしかわからない、この世界。
どうやったら元の世界に戻れるのかはわからない。が、その時まではここで生きていかなければならないが…

「あの… もし何でしたら」

が言った。

「もし、何でしたら。サンジさんが元の世界に戻れるまで… ここに居ませんか?」

カチ、とパンナコッタを盛り付けたガラスの小皿の上にスプーンを置いて。

「私、ここで一人暮らしですから。特に遠慮することもないと思いますし… ただウチ狭いんで、寝てもらうのはこの、ソファベッドを
 ベッドに直して、になってしまいますけど。あと、お風呂やトイレはもちろん、キッチンとかも自由に使ってもらっていいですが、
 そこの引き戸の向こうの部屋に入らない、て約束してくれれば」
「え、でも… いいのかい? さん、レディの一人暮らしの家に俺みてェな見ず知らずの… イヤ違うか、さん俺のこと
 知ってるみたいだったけど、今日会ったばかりの男を…」

そりゃもちろん、そうしてもらえりゃ俺は助かるが、と言いつつも、どこか戸惑いがちな、遠慮がちなサンジ。
けれどは首を振った。

「いいんです。むしろサンジさん、貴方だからそう言えるし、言いたいの」
「……それも、以前から俺を知ってるから?」
「……ええ。その上で言ってるの」

……やっと、逢えた。
絶対こうして、逢うことなんか叶わないと思っていた、貴方。サンジさん。
でも、本来なら貴方はマンガONEPIECEのキャラクターで… この世界は、貴方のいるべき世界じゃない。
貴方はONEPIECEというマンガの中で、“偉大なる航路”で麦わらの一味の一員として、海賊であり料理人として、奇跡の海
“オールブルー”を捜さなくてはならない。
その姿を、本の外から、あるいはアニメ化されたテレビ画面の外から見るのが、好きだった。
その想いは、いつしか本当の恋心に変わって。

『貴方が、好きです。サンジさん―――』

行く当てのない貴方を。路頭に放り出すなんてできやしないし、それに―――
1秒でも長く、貴方を。自分の元に留めたい、と思うのはいけない事ですか―――?

「ここに居て、サンジさん」

……何故、彼女がそんな表情で微笑うのかは、このときのサンジには、まだわからなかったが。
それでも、居てもいいというなら、正直助かる。右も左もわからない世界で、宿無しというのはあまりにもつらい。
それに…
自分を見つめるの瞳が。その顔が。その声が。
ともすれば、手を伸ばして抱きしめたくなるような。
そんな自分を自制しつつも、そんな切なさを呼び起こされていた。
今日、こんな異世界で初めて出会ったレディ・
彼女は何故か、俺のことを知っていて… 俺の料理をずっと食いたいと思ってた、と、実際食わせたらすごく美味そうに
食ってくれて。屈託なく笑ってくれたかと思うと、今度はこんなに切なく、訴えるような表情で―――

自分が困るから、とかそんな問題じゃなく。
許されるならばここのままここに、彼女の、の傍にいて、彼女を抱きしめたいと思った。
ましてや、居て、と乞われるならば尚のこと―――

「お世話になります。レディ・

サンジは立ち上がると、胸に手を当て、スッと頭を下げて言った。

「そのかわり、タダで置いてもらうわけには、な。メシの支度くらい、やらせて貰うな? さん」

そう言ってサンジはにっこり笑う。

「えぇ、本当ですか? あの美味しいご飯が食べられるなんて。こちらこそ、よろしくお願いします、サンジさん」

も立ち上がって頭を下げた。




「あっと、さっきも言いましたけど、その引き戸の向こうの部屋、入らないでくださいね。そこ、一応私のプライベートルーム・寝室
 なんで、ちょっと恥ずかしいかなー、なんて…」
「イヤ、いくら俺でも、レディの寝室覗こうなんて不埒なマネは―――」
「そうですよね。じゃあ、おやすみなさい」

あれから片づけを終えて、そろそろいい時間になったからと寝ることにして。
が一人暮らしの気軽さから、泊まりで遊びに来る友達も少なくなかったことから、その彼女達を泊めるのに、リビングルーム
にはソファベッドを置いていた。
それをベッドに直し、寝られるように整えて、サンジはそこに寝てもらうことにして。
おやすみなさい、と挨拶をすると、も自分の寝室に引き上げた。
彼女ももう寝るのかと思いきや―――

ぴしゃり、と戸を閉めると彼女は部屋の隅にあったダンボール箱を組み立てた。
その中にONEPIECE29巻までのコミックスと、REDとBLUE、COLOR WORK1、ONEPIECE映画のパンフレットとDVD、他カレンダー
やポスター、UFOキャッチャーでとってきたヌイグルミ、タオル、貯金箱、小物入れ…等など、の部屋に飾ってあったり実際に
彼女が使っている数々のサンジのイラストが付いているグッズなどを、次々と詰め込んでいく。
先程もキッチンに案内する際に“ちょっと待っててくださいね”と先に入ったのだが、それは、普段使っているサンジのイラスト入りの
マグカップや湯呑みを他の食器の後ろに隠したため。あれも、早いうちに機会を見つけて、このダンボールの中に移さなくては
ならない。

「けっこうあるなあ… ワンピ&サンジグッズ。さすが私、こんなに持ってるなんて、しかも実際使ってるなんて…」

そう、先程が、もう一度サンジに、この部屋に入るな、と念を押したのは、このためだった。
貴方がいた世界はこちらから見たらマンガの中の世界、貴方はマンガの中の一キャラクターに過ぎない、と…
サンジに告げられなかった
それどころか、サンジ本人に絶対にそれを悟らせてはならない、と―――サンジと同居を始めるに当たって、彼女の中で警報が
鳴っていた。



2003年7月14日。
、理由はわからぬがマンガの中から実体化した最愛の男性・サンジと同居を始める。
それと同時に、それまで飾っていた・使っていたONEPIECE・サンジグッズ、自室押入れ奥に封印。

一日目は、こうして過ぎていった。



                                                   <come here.1/fin.→next  go to . >



はい、ついにやってしまいました。
この話、書こうかどうしようか迷っていたのです。というのも。
普通はONEPIECEの世界が舞台で、ヒロインもその世界の人物ですが。
これは現代日本・東京―現実世界が舞台です。そしてサンジが、現実世界にきてしまうのです。
そう、他のジャンルでしばしば見かけたり、もしくは盛んなトコもあるけれど、ONEPIECEではきっと珍しいであろう
逆トリップモノです。
思いついたのは、2003年の9月終わりか10月頭くらいかでしょうか。
例の第二期サンジ氷河期もピークを迎えた頃。あまりに長いその氷河期についに、“…そっか、サンジが起きれないのは、
このせいなんだ。そう、エネルの“神の裁き”と方舟からの落下のショックでサンジの精神体のみがこっちに飛ばされてそこ
で実体化して…”などと、アホ願望妄想幻覚症状を発症した葉月さん。
ノーランドとカルガラ・ジャヤの真実が明らかになる物語を終えて、通常時間に戻った空島編で、一向に目を覚まさない、
起きないサンジを見守っていて、のことでした。
本当は妄想の産物だけで終わろうかとも思ったんですが、サンジスキーにとって長くつらかったあの氷河期を、葉月夕子は
こんな妄想で乗り切った、ということで書き出しました。未だ終わっていませんが、気長にボチボチ、やっていきます。