「どうしよ、平次が不倫しとるっ!」

      ……また始まった。
      は密かに、彼女に悟られぬようにため息をついた。





       [もし、望んでもよいならば、]





       「あんな、和葉。ちょお待って、落ち着いて」
       「これが落ち着いてられへんねん。平次、不倫してんねん!」

       どこをどうしたら、そんな話がでてくるのか。
       少し前までは、“平次に東京の女がおる!”と散々騒いでいた。

       「さっきもな、なんかずっと携帯気にしててな。メールか何か待ってるんかて思てたんやけど」

       よくよく聞いたら、たぶんそれは女じゃなくて男。
       和葉が、“東京の女”と思っている人物、実は苗字もわかってんねん、とに教えた名でわかった。

       「そしたら電話かかってきてな。 “何や、今頃どうしたん?” とか “一人なんか? こんな電話して、
        バレてまうこと、ないか?” とか」

       そう、その苗字は “工藤”。
       先日、平次が東京に行って帰ってきたその前後。
       そのあたりから、急に彼の口に頻繁に上がるようになった。
       そして今度は、何かホームズフリークの集いとかいうのに行って帰ってきてから、その “工藤” さんと
       コソコソと、頻繁に連絡とる素振りを見せるようになった、のだが。

       「“後で夜にでも電話する言うたのに……” とか言いながらアタシからこそこそ離れていったんよ」

       それはよく、平次と並び称される東の名探偵・工藤新一の事なのではないか、最近はそういえば
       見かけなくなったけど、全国区でマスコミを賑わす彼に、あの性格の平次が対抗意識を燃やしている
       ということではないのか。
       そしてその工藤新一は、相当なホームズフリークだと聞く。この辺は全国区で有名な彼の事、ネットなどで
       少し、その手のサイトを探ればすぐにわかる。
       ということはその集いに工藤新一も来ていて、何らかのきっかけで連絡先交換でもして仲良くなったの
       かもしれない。

       「絶対あれ、あの電話の相手、人妻か何かや。せやからあんなに、アタシにも隠れるようにコソコソ
        してんねん!」

       少なくともこの前、和葉と一緒に平次から例の “工藤” なる人物の話を聞いた時に、はそう思った
       のだけれど。

       「あんなぁ、和葉……」
       「もそう思うやろ!?」

       そういうことなんやないの? 工藤新一、て名前なんやから、男なんやないの工藤さん、と
       言った後も “そうかもしれへんけど……” とまだぶつぶつ何か、和葉は言っていたようだが。
       それでも最近、この “東京の女” 騒ぎはとりあえず、一応沈静化していたが。
       ところがどっこい、今度はこの発言である。

       「そう思うやろ、て」

       何と返したらいいのか。
       困惑気味な の表情に、 “聞いてなかったん!?” と和葉が詰め寄る。

       「もしかしたらその人、服部君に事件解決依頼した、依頼人の人かもしれんやろ? 
        せやったら第三者の和葉に詳細知られるワケにもいかへんやろ」
       「せやかてあんなにコソコソせえへんでもええやん。まるでアタシのことホンマに避けるみたいに……」

       今度は、しゅん、と落ち込むみたいにうつむいた和葉。

       ―――っ……

       モヤッ……

       そんな和葉を見ていたら、何か… 何か―――

       こみ上げてきた、気がする。

       「そないに気になるんやったら、私やのうて服部君に直接聞けばええやん」
       「でも平次、きっと上手い事はぐらかすに決まってんもん」

       っ。
       しかしそれには気付かないふりを、気のせいと無理矢理振り切り、は和葉の方を向く。

       「でもなぁ。不倫や何やて、服部君に限ってそんなんないて、思うけどなぁ……」

       そう言って、笑ってみせた。

       「そうやろか…… 他にもアヤシイとこ、いっぱいあんねん」

       それから、和葉は彼女なりに、平次についてアヤシイ、と思っている行動の数々をあげた。
       それについては、はいちいち覚えていない。
       何故ならはその時、和葉のそれを聞くよりも―――

       「もう、ったら。ちゃんと聞いてくれとる?」
       「え? ああ、聞いとる。聞いとるよ」

       その和葉の言葉で、ははっと我に返った。

       「どうだかなぁ。もうずっと笑いっぱなしやし、一応相槌返してくれてたけど、何かうわの
        空っぽかったし……」
       「そんなことないて」
       「まあ、にとっては他人事やからな。平次の事なんて関係ないし」

       ―――っ!……

       「あんなぁ、和葉」

       平次の事なんて関係ない。
       そう言われて、の中で、何かが切れた。

       「さっきから…… ううん、もっと前から、何なん!? 東京の女がおるって騒いだり、不倫やて言うたり!」

       ダメや。止まらない。

       そうにも自覚はあった。
       先程までとは打って変わって、まくし立てるようなの話し方に、和葉も目を丸くする。

       「そないに、そないに服部君の事、信用しきれへんのやったら、」

       あかん、あかん、それは、それは言うたら、

       「私に譲ってくれない? 服部君」





       シ…… ン。





       「……?」

       その沈黙を破ったのは、上擦ったような、和葉の声。

       「……なんてねっ、冗談や冗談!」

       ぷっ、と吹きだしてが笑いだす。……努めて、笑った。

       「びっくりした? 和葉。悪かったわ」

       そう言いながら和葉の肩をポン、と軽くたたく。

       「冗談やて。第一、譲るとか譲らへんとか、服部君に聞かれたら “オレは物やない!” て、怒鳴られて
        まうわ。なぁ」
       「〜〜〜
       「でもな、和葉」

       笑うのをやめたは、一度和葉に向き直ると。

       「もう少し、服部君のこと信用してあげてもええと思うよ。彼は、そないな事する人やないて」

       そう言うと、くるっと踵を返し。

       「じゃ、帰るわ。今日、オカン外出してるから、夕飯の支度私がせんといかんから」

       また明日な、と言い置いてそのまま、はその場を去った。





       足早に、は和葉の前を去った。
       もしまだあの場にいて、和葉に何か言われたら。そうなったら、たまらない。
       何より、自身がもう、限界だった。

       だって、あれは冗談なんかじゃなかったから。
       ダメだ、言ってはいけない、もし言ってしまったら…… と思ってもやめられなかった。

       ……本心だったから。

       ―――っ……

       泣くな。泣くな。泣いたらあかん……
       こんな街中、泣いて歩いとったら周りの人から、変に思われるで。

       そう思っても、渦巻く感情は止まらない。もう少しで、目から溢れそうだった。

       東京の女がいるとか、不倫してるとか。
       そんな事で騒げる和葉が、羨ましくもあり、憎らしくもあった。
       その根拠と思われるものを挙げていく和葉にこみ上げた、モヤモヤとしたもの。
       振り切ったと思ったのに、堪えたと思ったのに。

       “にとっては他人事やからな。平次の事なんて関係ないし”

       そう言われて、カァッとなった。その時切れたのは、堪えたと、振り切ったと思ったその気持ち。

       幼馴染、という土台の上に、当然のように平次の隣にいる和葉。
       幼馴染、という関係から進みたがっている、その内側の想いではとっくに進んでいる和葉。

       割り込めないんだろう、ということくらいわかっている。
       そんなの中等部の頃から。
       だって和葉は、が改方学園中等部に入学して、一番最初にできた友達だったから。
       時期を同じくして出逢ったのが、その隣にいた平次だったから……





       「……っ!」

       突然聞こえた声と、ぐいっと腕ごと後ろに引っぱられる感覚。
       そのまま、どん、と背中をぶつけてしまった。

       「何ボーっとしてんねん、死にたいんか!?」

       驚いて、ばっと振り向けばそこにいたのは平次。

       「服部君……」

       そして気付く。
       目の前には幹線道路の赤信号、このまま行けば間違いなく車に轢かれていた……

       「あ……」

       その事実に気付き、また何故こういう事態に陥ったのかを思ったとき、目の前に現れた彼の、
       その良すぎるタイミングに、は声が出なかった。

       「どないしたんや? いつものらしくないで。なんかあったんか?」
       「―――っ…… 服部君……」

       を放した平次に、覗き込むようにして聞かれて。
       その口調が、心なしか優しかったから。

       「っ、ちょっ、!?」

       うん。わかっとる。今のは、道路に突っ込みそうになった知り合いを心配してくれとるだけやって。
       わかっとるけど……

       ついに、溢れ出した感情は止められなかった。

       「……」

       ああ、あかん。服部君、困ってるやんか、
       ああ、せやけど、せやけど……

       「ん…… ごめん。何でもないわ。ありがとう、心配してくれて、助けてくれて」

       何とか、どうにかこうにか。は、泣き止んでそう言った。
       本当はここで微笑むとかできたら上出来かもしれないけれど、それは無理。
       泣き止めただけ、よしとして欲しい。

       「何でもない、て……」
       「ホンマやで? ただ急に引っぱられてビックリしただけやから。そんで服部君に助けて
        もらえへんかったら今頃、車に轢かれとるかも知らん、それに気付いて恐ろしく
        なっただけやって」

       そう言って、今度は微笑んでみせた。……実際には、上手くできてなくてただ顔を歪ませた
       に過ぎなかったかもしれないが。
       しかし、そんなことでこの名探偵をごまかせるのか。

       「……ま、ええわ。今は、言いたくないんやったら、言わんでええ。言いたくなったときに、いつでも
        聞いたるわ」

       何か言いたそうに口を開いた平次だったが、一旦その口を閉じると、そう言ってくしゃ、と
       頭をなでた。

       「今は、助けられただけでええわ。ホンマ、に目の前で死なれてまったらオレ、
        一生立ち直れへんからなぁ」
       「……」
       「ほな、帰ろか」

       そう言って、平次はの手を取ると、歩き出した。



       ……服部君。
       今は、その言葉とこの手だけで充分や。救われたで、私。
       その言葉を、誇大解釈するほど私は、アホやないけど。



       でもきっと、後にこの恋が思い出になった時に。きっと忘れられない出来事になるんだろうと。
       そうは思った。


                                    <もし、望んでもよいならば/FIN.→next貴方の隣に



       初めて書きあげた平次夢は、ちょっと悲恋ぎみ?
       でも、なんとなく。
       続きます。