ねえ、サンジ… 貴方は、本当にこれでよかったの?



     <21.終わらない恋>



     コンコン。
     ノックする音が聞こえ、チャ、と小さな音がしてドアが開く。

     「。そろそろ休憩するか?」
     「サンジ」

     自分の目で見て、聞いて、体験して得た世界中のあらゆることを、本にして多くの人に読んでもらいたい、
     という夢を持つ、作家の
     そのは、執筆に専念できるように、とそれからサンジ君とお幸せにね、と倉庫を改造した一角に
     二人だけの部屋を貰っていた。
     今日は朝から、昼食の席に一度顔を出しただけで一日、そこでは原稿を書いていた。

     「ええ、いただくわ。お願い」

     書きかけの原稿を重ね、ペンをしまって場所をあけると、サンジが机の上にティーセットを置く。
     ティーコジーを外したポットから、ゆっくりとカップに注がれる琥珀色の紅茶。
     ふわりと広がる芳醇な香り、口に含めばほうっと抜ける肩の力。
     すっきりとした渋みは、それでいてクセがなくてここちよいディンブラ、の好きな紅茶。

     「美味しい…… ありがとう、サンジ」

     にっこりと笑って、が礼を言う。

     「調子はどうだ? ちゃんと書けてるか? 締め切り間に合いそう?」
     「ええ。大丈夫よ、ありがとう。締め切りにも間に合うわ。ちゃんと出版社に送って本にしてもらって
      売れてくれないとこの部屋、ナミに取り上げられちゃうもの」

     の机の横にもう一つ椅子を持ってきて座ったサンジに、はイタズラっぽく笑ってみせた。

     「それに…」

     笑った顔が、きゅ、と引き締まって続ける。

     「今書いてるのは、ずっと書きたかった題材だから……」

     そう言ったが、積んであった資料から一枚の海図の写しを取り出してサンジに見えるように
     広げる。
     それを見たサンジの顔も、幾分引き締まるような表情になった。


     それが何処の海域のものなのか、示す右下の名前は “all blue” 。
     海図製作者の名前はナミ。





     約ひと月半前、ゴーイングメリー号はついにオールブルーに辿り着いた。

     オールブルー。
     世界の四つの海・イーストブルー、ウエストブルー、サウスブルー、ノースブルー。
     “赤い土の大陸” と “偉大なる航路” により四つに分けられている世界の海には、それぞれ
     別の種類の、その海の特性にあった魚が生息している。
     四つの海は完全に分断されているから、エレファント・ホンマグロのような例外を除いて、
     違う海の魚が同じ場所にいる、ということはない  ……というのが常識。
     しかし “偉大なる航路” のどこかに、四つの海にそれぞれ生息する全種類の魚が一同に
     集まっている場所があるという。
     それが伝説の海“オールブルー”。
     しかし、それは伝説ではなく本当に存在した。



     “サンジ……”



     オールブルーを目の当たりにした貴方の顔を、私は生涯、忘れないだろう。
     オールブルーで獲れた魚を料理する貴方の姿を、私は生涯、忘れないだろう。
     オールブルーで獲れた魚で貴方が作った料理の味を、私は生涯、忘れないだろう…… 



     “……”



     そして。
     オールブルーに着いた日の夜、私を抱く貴方の腕は、いつもより強くて、接吻られる唇は、
     いつもより熱かったことも……
     忘れない。



     オールブルーは、サンジの『夢』だった。
     いつかオールブルーを見つけるため。
     そのために、ゴーイングメリー号の料理人を引き受けたこと―――



     オールブルーを語るときのサンジの顔。
     子供みたいにキラキラしてて…… 一生懸命に、夢中になって語ってくれる。
     それはの、作家としてのイマジネーションを刺激するには充分すぎて……
     サンジがオールブルーを発見するとき、きっとこの恋人の隣で、一緒にその海を眺め、体験する
     自分を思い。
     絶対本にすると決めていた。
     サンジにも話したら、喜んで同意してくれた。



     けれどもし、本当にオールブルーに着いたなら。
     オールブルーはサンジの夢。航海の目的。





     ―――ずっと続けてきた旅の目的地に着いたら、人は。その旅を、やめてしまう……?





     しかし、ゴーイングメリー号がオールブルーを出発する、その日。
     サンジは今までどおり、ゴーイングメリー号に乗り込んだまま。
     オールブルーを後にした。

     まあ、オールブルーは海だから…… ならば一番近い島でその旅を終えるのか。

     しかし、そうではなかった。
     そこに着いた彼は…… 普段どおり、ゴーイングメリー号の航海に必要な分の食料を手配して。
     その島を出発するときも、やはり乗り込んだままで。

     ……今、こうしての目の前で紅茶を一緒に飲みながら。
     オールブルーの海図を見ている。



     「……ねえ、サンジ」

     オールブルーを出発してから約一ヶ月、ずっと不安だった。
     聞ければよかったのだろうけど…… 聞く勇気がなかった。
     だって現状が一番よかったから。
     下手に聞いたら、その答えが何と返ってくるのか。 
     それを考えると恐くて。
     現状が一番なんだから、と、その気持ちを押し隠して何事もないように。
     いつもどおりに振舞ってきた。
     ……けれど。

     「本当に、これでよかったの?」

     震える声で。
     はとうとう、その疑問を、不安を…… 口にした。

     「何が?」

     オールブルーの海図を見ていた瞳のまま、を見返したサンジの瞳が、訝るように細められる。

     「……?」

     心配している、疑問形。最初は首だけ向いていた体勢が身体ごと。
     サンジがの方に向き直る。

     「どうした……? 何をそんなに怯えて… 不安がってるんだい?」

     何かあるなら、何でも言ってくれよ? にそんな顔は、全然似合わないから。
     プリンセスの不安を取り除くのに、俺に出来ることなら、何だってするから、さ。

     そう言って安心させるように、にっこり笑って…… サンジは椅子ごと一歩、に近寄る。

     「オールブルー……」

     自分を優しく見つめてくる、その海と同じ色の瞳に。の唇から言葉が滑り出す。

     「離れちゃって、本当によかったの……?
      オールブルーは、サンジの夢だったんでしょう。せっかく辿り着いたのに……
      もう随分離れちゃった……。
      旅の目的地に着いたのに、せっかくあんなに焦れてた場所だったのに……
      よかったのかな、って……」
     「……は。オールブルーで、俺にこの船を下りてほしかった…?」
     「! 違…… そんなわけないじゃない」

     サンジがそう言うと、は。
     ぶんぶんと、左右に首を振って答えた。

     「聞いたらそう言われるんじゃないかって…… だから恐くて、この一ヵ月間、聞けなくて……」

     ほろっ、と涙を零しながらが言う。

     「このオールブルーの海図…… 今日は資料として借りたけど、普段はこの机の引き出しにしまって
      あるじゃない。
      私知ってる…… サンジ、時々出して見てるでしょ、これ」

     ほろほろと、涙を流しながらが続ける。

     「サンジ、何想いながら見てるんだろう、て…… 今、一応下りないで来ちゃったけど、ホントは
      オールブルーに戻りたいんじゃないかって…… そう思って、」

     っ、ここでは一旦、言葉を遮られた。続けられないように、サンジが、

     「……涙、止まった?」

     目の前には、至近距離にサンジの顔。
     肩に置かれた手。
     こくこく、と頷けば、そっか、よかった、と笑ったサンジが、頬の涙の跡を拭ってくれた。


     突然のキスに驚いたの涙と言葉は、引っ込んでしまった。


     「……やれやれ、見られてたなんてなぁ。は完全に寝てるか、いねェと思ってたのに」

     サンジはそう言ってふっ、と視線をオールブルーの海図に戻す。

     「そりゃ、な。
      オールブルーは俺が長い間夢見てきた場所だ。実際に着いたのも、そこで過ごしたのも夢みてェに
      クソ嬉しくて、でも現実で…… イーストブルー、ウエストブルー、サウスブルー、ノースブルー、
      違う海の魚使ったいろんな料理作って、皆に食ってもらって。
      今まで考えてた新しいレシピも試させてもらったしよ。
      中でも四つの海全ての魚介類使って作ったブイヤベース、あれすげェ好評だったなァ」
     「うん。あれすごい豪華だったよね。ホント、美味しかった。これぞ海!て感じで」
     「ああ。あのとき、最初の一口目食ったの顔……」
     「あー、やだ、思い出さないで。あのとき “どしたの、何ポカンとしてんの? 見ようによっては
      マヌケよ”ってナミに言われたんだからっ」
     「そっか? 俺にはこの上なくクソ可愛く見えたけど? ナミさんにそう言われた後、もう一口飲んで
      “……美味しいっ! すっごく美味しいっ!!” てすげェ笑顔で言ってくれただろ」

     確かに。
     四つの海からそれぞれ貝・魚・甲殻類を選び、サンジが自信を持って作り上げたそのブイヤベース、
     この上なく美味しかった。
     最初に口にしたとき、そのあまりの美味しさに言葉が出なくなるくらい。
     ナミに言われたとおり、呆けてたかも……  でもそれくらい美味しかったのだ。
     そしてその後、夢中で食べて、おかわりまでした。

     「あのときのとか。思い出してたんだ。ホント、夢みてェなトコだった、てな。ひと月しか
      たってねェのに、なつかしかったりして。また作って、食わせてやりてェな、とか」

     へへっ、と笑いながらサンジが言う。

     「ならやっぱり……」

     オールブルーに戻りたい……?

     「……なあ、

     俯いてしまったに、サンジが声をかけた。

     「、さ…… 俺の夢、勘違いしてねェか?」

     あれだけさんざん話して聞かせたのに。 

     「え?」

     顔を上げると、そこには苦笑したサンジが。

     「俺の夢は、さ。 “オールブルーを見つけること” なんだ」

     そう。
     何度も聞いた、だからそのサンジの想いがどれだけ深いかも知っている。だから私は、

     「“オールブルーに居座ること” じゃなくてな」

     あ……

     「その夢は、叶った。みんなが、が…… 俺の夢に、つきあってくれた。
      だからこれからは、俺がみんなの夢に、」

     そ、と自分の椅子から立ち上がったサンジが。

     「の夢に、つきあう番」

     そ、と椅子に座ったままのを。
     後ろから抱きしめて、サンジが言った。

     「“自分の目で見て、聞いて、体験して得た世界中のあらゆることを、本にして多くの人に
       読んでもらいたい”  それがの夢だろ。それでは、ゴーイングメリー号で
       世界を回る。だったら俺も一緒に行くしかねェじゃん?」
     「サンジ……」

     ドキドキと高鳴ってくる胸。
     こんな風に抱きしめられるのは初めてじゃない……  のに、頭上から響く声。

     「それに、最初にルフィに言っちまったしな。海賊王への道に付き合う、って。
      だいたいよォ、あのクソゴム船長を一日5食・365日満足に食わせてさらに、他のクルー達
      にも同様に食わせることの出来る料理人が、この世界中に俺を置いて、他にいるか?」
     「いない… わね」
     「だろ。な。だったら一緒に行くぜ。
      オールブルーは見つかった。ホントにあるんだって、この目で見た。この手で料理もした。
      それがわかりゃいい。
      それに俺にはナミさんから貰ったオールブルーの海図の写しと、それから “これ” もある」

     を抱く腕を片腕だけにして、机の引き出しを開けるサンジ。
     そこには今、オールブルーを題材にドキュメントを書いているに貸した、オールブルーの
     海図の写しとともに、一冊の本をしまってある。
     あきらかに手作りとわかるそれは……

     “サンジ。やっとできたわ。これ、貰って……”

     オールブルーを発って一週間、その日の夜にが、サンジに差し出した一冊の本。

     「“自分の目で見て、聞いて、体験して得た世界中のあらゆることを、本にして多くの人に
      読んでもらいたい” 
      それが夢のはずのが、俺一人のためにだけ作ってくれた、世界に一冊しかない本」

     今が一般向けに書いているのとは違う、オールブルーでの日々を忠実に綴った一冊。
     それも確か……

     「しかもこれ、の視点から語ってるだろ…… 何だかクソ豪華なラブレターみてェで。
      すげェ嬉しくて感動したんだぜ? ありがとな、

     そう。
     サンジにしか見せないし、あげないのだから…… と、オールブルーにいたときの自分の気持ちも
     全て正直に、赤裸々に綴った。
     目の前で本当に楽しそうに、活き活きと料理に打ち込む恋人と、その様子を見ながら、どんな気持ち
     だったかありのままに―――
     何を書いたか、まだはっきり憶えているは、かああ…っと真っ赤になる。
     けれど、そこに書いたのは自分の正直な気持ちで。
     そして宛てた彼は、その想いを真っ向から受け止めてくれるヒトだから。
     渡して、読んでもらえてよかったと思っている。

     「俺には、これがあるから充分だ。オールブルーには、これからだってまた行ける。
      ちゃんとあったんだからな。
      何、ルフィにちょっと “四つの海の魚料理、一遍に食いたくねェか? ”って言えばすぐ、
      そこへ向かうさ。
      確かにちょっと辿り着くのが難しかったけれど、一度行った事のある海域を、しかも本人製作の
      海図まであるのに行けない、なんて言ったらナミさんに怒られる。
      だから、な」

     サンジはそっと、を放すと前に回って。
     じいっと見返してくる、大きな瞳を見つめ返して。

     「もう、不安そうな顔はしないでくれ。これからも俺は、の隣にいて、の夢に付き合う。
      大丈夫だ、もし今度オールブルーに行くようなことがあっても、その時は皆も、も一緒だ。
      そして一緒に出発する。俺はゴーイングメリー号を絶対に下りねェ」

     の目の高さまで屈んで、サンジは彼女の目を見て、そう言った。

     「サンジ……」

     ガタン、とが思わず立ち上がる。
     その顔はさっきまでとは違う、明るく綻んでいて。

     「わ、私も。私もゴーイングメリー号を下りない。ずっとずっと、貴方とともに居るわ」
     「……」

     まだ紅味が増した顔ながら、輝く瞳で見返してくるを抱きしめ、サンジはその唇にキスを贈る。


     “今までも、これからも。俺たちは、まだまだ終わらねェ…… ずっとずっと一緒だ”


     そのキスは、これからもずっと、このゴーイングメリー号で航海する二人の日々を誓う接吻のようで。


     “終わらない恋を。俺たちはずっと、している……”


                                                             <fin.>


     何だかムダに長くてすみません!
     ですが葉月は常々考えてました、サンジはオールブルーが見つかったらどうするんだろう、と……
     そこで下船するか、再び航海を続けるか。
     私は航海を続ける派です。そのワケを書く機会をずっと狙ってました!
     そしてこれ幸いと、このお題にかこつけて書いてしまったのです…… 読んでくださいまして、
     ありがとうございました!

     ※作者注;この作品、初出は2004年2月15日です。よってONEPIECE原作中で今後、もし麦わら一味が
       オールブルーに差し掛かるような描写があるときには、一味の船はサウザントサニー号だと思われますが
       この作中ではゴーイングメリー号、船の構造もメリー号のもので書かれております。ご了承ください。